そこにヒントはある、と思う。

例えば、◯歳児健診へ子供を連れて行くんだけれども、子どもが嫌だと泣き叫んだり全く座っていなくて困った、という話を聞くことがあります。

そのまま子供が落ち着かず結局できなかったり、対応に困ってしまったお母さんの話もお聞きすることがあります。

そんなお子さんを見て係の人は、「これで大丈夫だろうか」「就学時になったらどうするのですか」とお母さんに質問し、お母さんは落ち込んだり憤りを感じたり、というのもよく聞きます。


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私は昔、今の教育現場の在り方で無理があることを感じた時、一度全部壊れないといけないんじゃないかと思ったことがあります。しかし、本当にそうかなって考えた時、それは違っていました。

例えば、「椅子にずっと座って授業を受けること」をしなければいけないの?自由に授業受ければいいじゃん、と。けれどなぜ椅子に座って授業を受けるようになったかには、理由があると思いました。それは、椅子に座って机で授業を受けるという姿勢が、頭も働きかつ人の話を聞くのに適したものだったからじゃないでしょうか。先人が愛を持って子供を導いた時、これが一番効率が良い姿勢だったからそうしたのかもしれない。そう思いました。

もちろん、時代とともにスタイルは変わっていくでしょう。けれども勉強するために大事なエッセンスがそこには残ると思います。それがもしかして椅子に座って勉強することかもしれない。そうなったのには理由があると思います。

◯歳児健診というのも、ただ子どもたちに定規をあてるものじゃなく、やはり愛に始まったものだと思います。そこには、◯歳くらいになったら、それまでの適切な教育によってこれくらいはできているであろうということ(きちんとその子が健全に成長しているか)を確認するものだと思うのです。

例えば大人と落ち着いてある程度の会話をしたり、一定時間座っていたり、指示(言っていること)を理解したりということなど。それまで適切な生活を送ることで発達して可能になっているであろうことを確認するのです。ですからいろいろな項目があります。

確かに中には心ない発言をする先生も実際いますし、就学を前提にしすぎて今のその子を見ないでただ責めてしまう先生もいるかもしれない。そういう目にあったお母さんたちは、やはり気分良くはいられないでしょうし、感傷的になるとおもいます。

ただ、感情で終わっては大人なのにもったいないとおもいます。「もう行かないもう嫌だ」ってなってしまったら、自分の中に悪を生んだだけですし。そこは感情じゃなく、愛と思うんです。その愛って何かっていうとやはり「子どもを観察する」ことかなと思います。

なぜ座っていられないのか。そこからその子の成長段階が見えてきます。(座っていることが良いとか悪いとかの領域ではなく。)
いろんな要因が混ざっていると思います。もしかしたら大人に対して信頼が持てないのかもしれないし、落ち着いて普段遊べてないのかもしれない。感覚に敏感かもしれない。体の発達が健全にされてない結果、振る舞いや行動に現れてきます。そのベースはやはり「生活」にありますよね。

基本体温はどうか、食事や睡眠リズムは毎日整っているか、近くの大人が世間の悪口を言ってないか、子供に選ばせていないか、いつも同じところにものは片付けられているか、外遊びの時間が多すぎないか、直接結びついているように見えないことでも、よく観察してみると基本生活の中に大事なポイントがあることが多いと思います。

観察してみると、ヒントがあるかもしれませんよね。私もすごく難しいですけど、子どもの観察がその子が必要としていることを必ず教えてくれるので、頑張ります笑。

それで、その生活を工夫してみたところ子どもの発達状態が健やかに変化したことは多々あります。やはり、滞った時は何かがあるのだと思います。本来のリズムで生きているときを「健康」と呼ぶように。その何かが悪いとか良いとかじゃなく、その子が普遍的な人間の育ちをする(自然な生き方をする)手助けができるかもしれないチャンスだと思います。

子どもを小さな大人のように見て、自分で選ばせたり自由にさせたり、落ち着きなくずっとはしゃいでいるのを「元気がいい」とか大人の言うことを聞けずかんしゃくを起こすのを「自分を持ってる」と片付けるのは、なんだか違う気がします。別に誰も言っていませんが。こういうポジティブに見ればいい、という傾向が少なからずある気がしていて、でもそこに大事なヒントがありそう、といつも思っていたからです。

そして子どもは子どもだから子どもというのであって、大人ではないと思います。



こういう体験をしてほしい、
こういうことを感じてほしい
こういう風に生きていってほしい
(または自由な精神で生きてほしい、など)

熱い想いは、やはり熱として人間に必要で、それが動く力になります。でもそれで目の前の子どもの状態が見えなくなる時ってありますよね。私も日々反省;

直接子どもに教えなくても、その子の環境を整えてあげることで、大人がその子に望んでいたように結果なっていくのかもしれませんね。最近感じていることでした。

je fais à que j'aime

地味にワクワク生きる。生活に直観とシュタイナーの世界観を。