常識を覆す勇気が後々、世界の歴史を変えてきた。ヨセフや親鸞に感じたこと。

私は15才くらいまで、キリストさんに親しみがあって、

ただ遊ぶために教会の日曜学校なんかへ行ってた時期があるのですが

そこでイエスがマリアに受胎した話を聞いたことがあります。

夫のヨセフはマリアが身ごもった時に最初えらく動揺して、マリアを捨てようかとも考えたそうです。

でもある日ヨセフにも聖霊が現れて、「これは聖霊による働きですよ」というと

ヨセフは信じたといいます。

教会で私は「ヨセフは聖霊の言葉をすぐさま信じた敬虔な人だったんだね」と聞かされていましたが

なんか腑に落ちなかったのです(素直じゃないな〜;;

だって、「ヨセフは敬虔な男だった」(マタイ福音書)と言われてた人が

それまで敬虔に信じていたものを一晩で変えられるかぁ?






ちなみにシュタイナーさんの見解によると(・ω・)ノ

イエス以前のヘブライ民族の信仰は

「民族の霊が母親を通して働くことによって子どもが生まれる」

というものだった。

敬虔な男というのは、それを信じている人という意味だった、と。

なのに民族霊ではない聖霊(より高次の霊)に、

信仰をいきなり変えれるかなぁ。。。

(ちなみに当時の人々は今の人より霊との繋がりは感じていたと思う)





しかし、ヨセフは信じたのです!(・ω・)ノ

今まで自分の民族が信じてきたことが

覆されるかもしれない

自分の身が危なくなるかもしれない

マリアだって。

でも、ヨセフは信じることに決めたのです。

これって、かなりの勇気じゃないかしら。

そして全てが成るようになりキリストが生まれ、

十字架にかけられ、蘇り、

今、現在がある。






同じく仏教でも、親鸞は、家族を持ちつつお坊さんになった初めての人です。

それまでは仏教の世界ではお坊さんになるなら世間との一切の関係を断つ、

というのが常識だった。

でも親鸞さんは、それを壊した。

なぜかというと、仏教がそう言っていたから。

仏教は善い行いをしなさいとか、こう生きなさいとか

そういう教えじゃなく

「自分の生き方を全うしなさい」と言っているものです。

だから親鸞は、自分の生き方を貫いた。

のちに、今の仏教がある。

これだって相当な勇気だっただろうと思う。

私なら、できません(´༎ຶД༎ຶ`)。。。







シュタイナーの人間観って、人間はこういう存在だよって教えてくれるものじゃなくて

その中で疑問を持ったり、心を動かしたりして

「私」を通して人間を観る、ということだと思います。

宇宙の謎、人間の謎を紐解いてくれる可能性が詰まってる

でもそれは常に「私」を通して学ばれ感じられるものなんだと思います。

je fais à que j'aime

地味にワクワク生きる。生活に直観とシュタイナーの世界観を。